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酒井 富雄 の活動報告


酒井 富雄
(Sakai Tomio)

※酒井 富雄のプロフィールを見る場合は写真または名前をクリックして下さい。

3月 22日現在

日経ビジネス ’06年3月14日
新会社法解説特集号

現場最前線掲載ページ

2006年 2月 17日
昨年同様、東京国税局にて税務相談員として終日活躍。

税務相談員

税理士事務所 Channel
2006.2 No.294

Channel WIDE 「前歴を活かして退職者が設立」

 12月15日公表の税制改正大綱に基づく、18年度税制改正早わかりを書く。12月14日に公表の会社法の経過措置政令で出そろった新会社早わかりを書く。いずれも、自分のHPで紹介するほか、定期購読者への郵送配布は12月25日、1月24日までにすませた。
 そのほか、副会長を務める麹町間税会の機関誌には、ファミリースキー紀行を載せて貰った。

ファミリーで豪雪スキーラリー

 あけましておめでとうございます、本年もどうぞよろしくお願い致します。
 長野県の栄村、秋山郷は、豪雪地帯。テレビでは連日、孤立状態を報じ、ついに自衛隊による除雪活動をして貰うことになった。秋山郷の南に岩菅山、その南に広がる高原地帯は標高1500メートルから2300メートル超にまで広がり、湖沼と温泉そして最高標高地にすむ蛍などで知られる。スキーの志賀高原だ。地元では、我が国最大のウインターリゾートと自負し、今年3月にはワールドカップも行われる地でもある。
 正月の挨拶回りの後、志賀高原入りしたが、毎日の降雪、20日間降り続き、すでに例年の2月末の積雪量を超えたと聞いた。ゲレンデ脇の源泉かけ流しの湯の謳い文句に惹かれたホテルに投宿するも、雪が多くてホテル脇のリフト動かず。やむなくバスで熊ノ湯ゲレンデへ移動。午後の3時間弱、たいして滑れなかった。一昨年末の強風雪と低温でスキーワックスは不適で滑らなかった経験を思い出す。
 2日目も強風雪。東舘山、ブナ平、ジャイアント、丸池のゲレンデを虫食い状態に滑り降り、夕方、バスで宿へ戻る。この日から「チャレンジマスター」というスタンプラリーを開始した。志賀高原にかかるリフト、ロープウエー、ゴンドラなど全て乗り尽くすスタンプラリーだ。1シーズンで全て乗り尽くせば(全てのゲレンデを滑りきれば)、記念品がもらえる仕組みだ。2日目の成果は10箇所だった。
 3日目。川原小屋温泉までバスで移動し、西館山、高天原、一ノ瀬のゲレンデを乗り尽くし、蓮池、丸池、サンバレーの各ゲレンデで18箇所を乗る。
 4日目。前山、横手山、渋峠、熊ノ湯、笠岳を回って、木戸池までを乗り尽くす。ここまでで50弱。残り20箇所。
 残ったところは、ほっぽ温泉から始まる東舘山のゴンドラ、寺小屋、一ノ瀬ダイヤモンド、一ノ瀬山の神、焼額山、奥志賀の各ゲレンデ。これは、2月のお楽しみだ。

 小1女児、小2女児、小4男児を引き連れ親子5人。午後の暖かい時間帯でも零下10度以下の強風雪の中の寒中鍛錬だった。驚きは、小1女児が弱音を吐かずに付いてくる、小2女児はスタンプが欲しくて休みたくないとまで言う。小4男児はガンガン行きたい。先頭が私でしんがりはママ。ママも子供達の滑り様に目を見張り、オヤジとすれば、うれしい限りだ。昭和60年、61年、62年と3年連続チャレンジマスター完了をしたオヤジの子供達らしく、誇らしい。
 新雪だらけでコブも無ければアイスバーンも無い、それがかえって子供にはいいのかもしれない、子供だから両足加重だし、踏ん張ってさえいれば転ぶことはない、おまけにスピードは圧雪バーンほどにも出ることもないし、低温気味でワックスの滑りも押さえられている。
 強風と雪降りで、ややもすれば、早々に切り上げて部屋で寛ぎたいところだが、朝8時半から夕方4時半まで、きっちり滑る生活だった。記録に挑戦する気概と欲が出てきているのがわかる。この経験が、他人の記録に感動と尊敬と理解をすすませるだろう、2月のオリンピック中継を観ても、自分のことのように感激するだろう。しらけムードで感動のない日常生活を一変させてくれたのかもしれないファミリースキーラリーだった。
 真直ぐ立ち向かう、やれるところまではやり尽くす。そんな風に育ってくれればいいと願っている。そういえば、毎年9月の伊豆アドベンチャーレースもカヌーを使ったスタンプラリーだった。この手のラリー、にんじん目当てに走り続ける馬のような仕組みは、我が家に合っているのかもしれない。

 最後に、熟年者にアウトドア指向があって、百名山歩きなどが盛んだ。この「チャレンジマスター」スタンプラリー、記念品は1シーズンでの完了が条件だが、数年がかりで、ゆっくり挑戦してみるのもいいのかなと思う。少子化で人口減少しながらスノーボードに浸食されスキー人口は減るばかり。しかし、ある程度、年齢がいってもスキーは出来る。三浦雄一郎のお父さん、100歳でステンマルクと滑り、感動を覚えたという。100歳までは、そんな感動を味わって欲しい。